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就職
2024年12月13日07:18
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2024年12月12日07:39
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13: 名無しさん@おーぷん 20/07/02(木)13:37:33 ID:xA.kc.L2
両親は姉を異常なほど過保護に育てたつもり。
姉は将来成功者になる子だから下等な人種と関わらないように20歳まで携帯禁止、バイトも禁止、進路や就職先は両親指定、監視下に置くために姉が転勤で実家を出るまで給料の3分の2は家に入れさせてた
けどそれは表面だけで、実際は親の目を掻い潜って彼氏名義で中学の頃から携帯持ち、当時流行ってたブログサイトで少し有名になって広告収入で小金稼ぎ
大学生になると昼キャバで小金稼ぎ、両親指定の会社に就職、両親の気が少し緩むと速攻退職して後に昼キャバのアリバイ会社を使って賃貸を借りて転勤と嘘をついて家を出た
姉は将来成功者になる子だから下等な人種と関わらないように20歳まで携帯禁止、バイトも禁止、進路や就職先は両親指定、監視下に置くために姉が転勤で実家を出るまで給料の3分の2は家に入れさせてた
けどそれは表面だけで、実際は親の目を掻い潜って彼氏名義で中学の頃から携帯持ち、当時流行ってたブログサイトで少し有名になって広告収入で小金稼ぎ
大学生になると昼キャバで小金稼ぎ、両親指定の会社に就職、両親の気が少し緩むと速攻退職して後に昼キャバのアリバイ会社を使って賃貸を借りて転勤と嘘をついて家を出た
2024年12月09日06:39
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589: おさかなくわえた名無しさん[] 2010/12/18(土) 00:54:02 ID:+5uWuPJU
大学四回生で、来年就職というのに就職先は未だに未定。
挙句の果てに先月受けた試験はボロボロ('A`)
友人達が次々と内定を貰ってる事に焦りと孤独感を感じて、
かーちゃんからのメールや電話を無視して、これから先就職が決まらなかったら
どうしようという焦燥感でいっぱいだった。
んで、さっきボロアパートに帰ったらドアノブにおにぎりやらハンバーグやら
手羽先、苺にバナナなど全て手作りの弁当がぎっしり入った袋がぶら下がってた。
かーちゃんが連絡の無い俺を心配して、わざわざ実家から訪ねて来た後
だった・・・。
なんかもう、それ見た瞬間未だに就職先さえ決まらない俺の不甲斐なさと
いい年して親に迷惑かける自分が情けなくて情けなくて・・・('A`)
玄関入って弁当袋抱え込んで泣いてしまった('A`)
挙句の果てに先月受けた試験はボロボロ('A`)
友人達が次々と内定を貰ってる事に焦りと孤独感を感じて、
かーちゃんからのメールや電話を無視して、これから先就職が決まらなかったら
どうしようという焦燥感でいっぱいだった。
んで、さっきボロアパートに帰ったらドアノブにおにぎりやらハンバーグやら
手羽先、苺にバナナなど全て手作りの弁当がぎっしり入った袋がぶら下がってた。
かーちゃんが連絡の無い俺を心配して、わざわざ実家から訪ねて来た後
だった・・・。
なんかもう、それ見た瞬間未だに就職先さえ決まらない俺の不甲斐なさと
いい年して親に迷惑かける自分が情けなくて情けなくて・・・('A`)
玄関入って弁当袋抱え込んで泣いてしまった('A`)
422: 名無しさん@おーぷん 20/07/27(月)05:04:35 ID:Dp.o5.L1
私はアラ還の年齢。
自分の人生を振り返ると下らない人生だったと思う。
私は中学生の頃から自頃したいと思ってきた。
「いつか自頃するだろう、今はその勇気がないから生きているだけ」と思いながら生きてきた。
私の母はいつも不機嫌だった。
父が浮気ばかりしていたのもあるだろうが、母は自分の人生に怒っていた。
母は公立校の教師だから父と別れても経済的に困らないのに「保護者に批判される」と言って離婚しなかった。
家の中は地獄だった。テレビを見るのも映画館に行くのも漫画を読むのも禁止された私にとって図書館にいる時だけがくつろげる時だった。
そんな母は母の思い通りの人生を私が生きるように指図した。
母に言われるまま、小6で中学受験をして進学校に入り、その進学校では普通といわれる程度の大学に進学し、母が望むような企業に就職した。
昔であっても、その会社では「女はお茶くみ」なんてことはなく、社員として業務があり責任もあった。
私が25歳になると母は半狂乱になった。理由は私が結婚する様子が無かったからだ。会社の仕事は残業が多く帰宅したらへとへと状態だった。
母の口がパクパクと動き私に怒っているのは分かっていても母がしゃべっている内容が頭に入らず、家で元気に待ち構えていた母に抗う気力がなく適当にウンウンと返事していたら、私が理解していない間にお見合いをすることになっていた。
お見合いの相手はこれも母が望むような企業の人だったが、両親を見てきた私は結婚する気はなかった。でも、私から断る事は母は許さなかった。
そんな気持ちの入ってない私では当然、しばらくお付き合いをしても結婚できるはずもなく母の半狂乱の日々が数年続いた。が、ある日、別の見合いの話が来て、何故かその人を私は気に入って結婚した。
ゴールデンウィークやその他、土日祝日の休みをお見合いやその後のお付き合いに潰される事が多く、見合い話に疲れた私が、母や周囲の人からの結婚へのプレッシャーから離れるための結婚でもあった。
自分の人生を振り返ると下らない人生だったと思う。
私は中学生の頃から自頃したいと思ってきた。
「いつか自頃するだろう、今はその勇気がないから生きているだけ」と思いながら生きてきた。
私の母はいつも不機嫌だった。
父が浮気ばかりしていたのもあるだろうが、母は自分の人生に怒っていた。
母は公立校の教師だから父と別れても経済的に困らないのに「保護者に批判される」と言って離婚しなかった。
家の中は地獄だった。テレビを見るのも映画館に行くのも漫画を読むのも禁止された私にとって図書館にいる時だけがくつろげる時だった。
そんな母は母の思い通りの人生を私が生きるように指図した。
母に言われるまま、小6で中学受験をして進学校に入り、その進学校では普通といわれる程度の大学に進学し、母が望むような企業に就職した。
昔であっても、その会社では「女はお茶くみ」なんてことはなく、社員として業務があり責任もあった。
私が25歳になると母は半狂乱になった。理由は私が結婚する様子が無かったからだ。会社の仕事は残業が多く帰宅したらへとへと状態だった。
母の口がパクパクと動き私に怒っているのは分かっていても母がしゃべっている内容が頭に入らず、家で元気に待ち構えていた母に抗う気力がなく適当にウンウンと返事していたら、私が理解していない間にお見合いをすることになっていた。
お見合いの相手はこれも母が望むような企業の人だったが、両親を見てきた私は結婚する気はなかった。でも、私から断る事は母は許さなかった。
そんな気持ちの入ってない私では当然、しばらくお付き合いをしても結婚できるはずもなく母の半狂乱の日々が数年続いた。が、ある日、別の見合いの話が来て、何故かその人を私は気に入って結婚した。
ゴールデンウィークやその他、土日祝日の休みをお見合いやその後のお付き合いに潰される事が多く、見合い話に疲れた私が、母や周囲の人からの結婚へのプレッシャーから離れるための結婚でもあった。
2024年12月01日21:04
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915: 名無しさん@おーぷん 20/10/08(木)20:46:21 ID:b1.lt.L1
間もなく39歳になる。
大学卒業して、政令指定都市辺りで、それなりに良いところに勤められるのだと思っていたけど。
全然そうじゃなかったね。
社会人になる前後に、ゼロ年代の氷河期と親の毒っぷりと自分の内向性が一気に襲いかかってきた。
大学入学して20年経つけど、本当にこの20年間なんだったんだろう。
正社員になりたくても、もうそういう気力も起きない。
正社員時代も5年ほどあったけど、最後は苛め抜かれて7年前に退社したし。
それ以来正社員の就職無い。
ニートしていた時期もあった。
その後にアルバイト始めて、正社員になる話はあったけど雇い主との関係が調停になるまで拗れて流れた。
その事業所も潰れたし。
今は事実婚の旦那に食わせてもらって、自分はパートで、それでなんとか生きている。
親を始めとした親類関係も全部切って、本当に頼れるのは旦那だけ。
20年前はこうなるなんて想像つかなかったな。
この先歳を取るのが怖い。
「お前が携われるコンテンツなんてねえよ」と言われている感じがする。
それに合わせて自分も色々意欲が無くなっている。
小学生の頃からずっと冷笑する顔に360度囲まれて徐々に精神が削がれて来た。
40年近くも続くなんてね。
今度は自分自身がそっと削られていくのだろう。
現に体調不良が顕著になっている。
SNSもネット書き込みもやらなくなった。
自分に書ける資格なんて無いと分かったから。
でも今回だけは吐き出したかった。
本当に自分の人生ってなんだったのだろう。
大学卒業して、政令指定都市辺りで、それなりに良いところに勤められるのだと思っていたけど。
全然そうじゃなかったね。
社会人になる前後に、ゼロ年代の氷河期と親の毒っぷりと自分の内向性が一気に襲いかかってきた。
大学入学して20年経つけど、本当にこの20年間なんだったんだろう。
正社員になりたくても、もうそういう気力も起きない。
正社員時代も5年ほどあったけど、最後は苛め抜かれて7年前に退社したし。
それ以来正社員の就職無い。
ニートしていた時期もあった。
その後にアルバイト始めて、正社員になる話はあったけど雇い主との関係が調停になるまで拗れて流れた。
その事業所も潰れたし。
今は事実婚の旦那に食わせてもらって、自分はパートで、それでなんとか生きている。
親を始めとした親類関係も全部切って、本当に頼れるのは旦那だけ。
20年前はこうなるなんて想像つかなかったな。
この先歳を取るのが怖い。
「お前が携われるコンテンツなんてねえよ」と言われている感じがする。
それに合わせて自分も色々意欲が無くなっている。
小学生の頃からずっと冷笑する顔に360度囲まれて徐々に精神が削がれて来た。
40年近くも続くなんてね。
今度は自分自身がそっと削られていくのだろう。
現に体調不良が顕著になっている。
SNSもネット書き込みもやらなくなった。
自分に書ける資格なんて無いと分かったから。
でも今回だけは吐き出したかった。
本当に自分の人生ってなんだったのだろう。
2024年11月25日22:47
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163: 名無しさん@おーぷん 19/08/28(水)19:44:06 ID:cz.aw.L2
子の就職先が決まったので夏休みが開けるのを機に離婚を切り出した。
そうしたら夫が、
「俺には何も落ち度はない。こんなにいい夫・父親はいないだろう!」
とキレまくって本当に呆れてしまった。
超気分屋で気が乗ってるときは「いい人」なんだけど、一旦何かで機嫌が悪くなるとそれをむき出しにする。
子供が小さい頃から無視・八つ当たり当たり前。
ひどいときは仕事で気にくわないことがあった!で、休日の家族旅行を直前キャンセルとかもあった。
朝、プイッと出かけてそのまま夕方まで帰ってこない。
連絡しても当然繋がらない。
で、夕方に帰ってきて「キャンセル料が勿体無い!なぜ早くキャンセルしなかった!」と喚く。
それで夫婦喧嘩になるんだけど「お前には分からん!」から話が進まない。
で、数日後に機嫌が良くなって子供を猫可愛がりすると「帳消し」だと思っている。
そうしたら夫が、
「俺には何も落ち度はない。こんなにいい夫・父親はいないだろう!」
とキレまくって本当に呆れてしまった。
超気分屋で気が乗ってるときは「いい人」なんだけど、一旦何かで機嫌が悪くなるとそれをむき出しにする。
子供が小さい頃から無視・八つ当たり当たり前。
ひどいときは仕事で気にくわないことがあった!で、休日の家族旅行を直前キャンセルとかもあった。
朝、プイッと出かけてそのまま夕方まで帰ってこない。
連絡しても当然繋がらない。
で、夕方に帰ってきて「キャンセル料が勿体無い!なぜ早くキャンセルしなかった!」と喚く。
それで夫婦喧嘩になるんだけど「お前には分からん!」から話が進まない。
で、数日後に機嫌が良くなって子供を猫可愛がりすると「帳消し」だと思っている。
2024年11月24日18:57
- カテゴリ
2024年11月24日17:39
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533: 名無しさん@おーぷん[sage] 2014/05/10(土)19:20:15 ID:BEJIeHZYn
女というだけで下に見て暴言暴力を振るってた毒兄。
私はさっさと外に就職させられ、給与もピンはねというか、給与の一部だけお小遣いで貰ってた状態。
家に戻れば稼業の手伝いも無給でやらされ、家事も当然私の仕事だった。
もちろん毒兄をそう作り上げたのは毒親ども。毒兄よりマシだったが。
そんな状態でも思考停止で逆らえなかった私だが、男性と付き合うようになってそれはおかしいと言われ。
彼によって洗脳が徐々に解け、毒親・毒兄に逆らうように。
しかし、毒父毒兄が彼にいろいろと虚言を吹き込み、彼は離れていった。私は毒父毒兄の慰み者だと信じたらしい。
さすがにそこまではされてなかったのだが、狂ったような言動の毒どもを見て彼は信じ込み、私に謝りながら去っていった。
それから初めて復讐したいと思った。
彼がいる当時は逃げたい、自由になりたい、自分の人生を送りたいだったのに、そんなのどうでもよくなった。
それから友人(彼と付き合う前から逃げろと言ってくれてた)にお願いしておしゃれを覚え、ある男性と付き合うようになった。
その男性は私に対して真剣交際というわけでもなかったが、私もそれは同じだった。
私は毒どもに再び逆らい始め、それとなく特定されないように付き合いのことをリークした。
連絡先は見つからないように最新の注意を払った。
そして男性を伴って家の近くで別れることを繰り返してると、ある晩毒どもに見つかり。
元彼と同様、ないことないこと吹き込み、私が泣いて、男性はドン引きして帰っていった。
私はさっさと外に就職させられ、給与もピンはねというか、給与の一部だけお小遣いで貰ってた状態。
家に戻れば稼業の手伝いも無給でやらされ、家事も当然私の仕事だった。
もちろん毒兄をそう作り上げたのは毒親ども。毒兄よりマシだったが。
そんな状態でも思考停止で逆らえなかった私だが、男性と付き合うようになってそれはおかしいと言われ。
彼によって洗脳が徐々に解け、毒親・毒兄に逆らうように。
しかし、毒父毒兄が彼にいろいろと虚言を吹き込み、彼は離れていった。私は毒父毒兄の慰み者だと信じたらしい。
さすがにそこまではされてなかったのだが、狂ったような言動の毒どもを見て彼は信じ込み、私に謝りながら去っていった。
それから初めて復讐したいと思った。
彼がいる当時は逃げたい、自由になりたい、自分の人生を送りたいだったのに、そんなのどうでもよくなった。
それから友人(彼と付き合う前から逃げろと言ってくれてた)にお願いしておしゃれを覚え、ある男性と付き合うようになった。
その男性は私に対して真剣交際というわけでもなかったが、私もそれは同じだった。
私は毒どもに再び逆らい始め、それとなく特定されないように付き合いのことをリークした。
連絡先は見つからないように最新の注意を払った。
そして男性を伴って家の近くで別れることを繰り返してると、ある晩毒どもに見つかり。
元彼と同様、ないことないこと吹き込み、私が泣いて、男性はドン引きして帰っていった。
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